Someday Somewhere

A little something to say in my everyday life

『垂直の記憶』

2004年、山野井泰史氏本人によって書かれた書籍。 2010年に文庫化され、kindle版もある。

「山野井泰史」という名前は知らなかったのだが、この本を読んでふと思い出した。 以前テレビで紹介されていたご夫婦が山野井さんだったと思う。 奥多摩に住んでいた頃のことだと思うが、山野井さんが奥様の妙子さん用にと岩登りに使う道具に改良を加えている場面や、凍傷で指を失った後もお二人で岩登りをしている場面とか、かすかだが記憶に残っている。 名前をしっかりと覚えていたわけではないが、こういう人たちがいるのかという驚きと共に、生きている世界があまりにも違いすぎると思ったことを覚えている。

この本を読んだのはたまたまkindleストアのページを見ていて目にとまったから。 でも何となく読んだ割にはインパクトが強かった。 山野井さんの存在を知っている人たちにとっては別に今さらと思うかもしれないだろうが、知らなかった者にとっては何と言っていいのかわからないぐらいの 衝撃だった。

たまたま、主人の知り合いにプロの登山家とほとんど変わらないほどの人がいたり、主人も学生の頃には登山やロッククライミングをやっていたこともあ り、標高の高い山を登るにも、プロ達はどのような方法で登ったのかを重要視するということは聞いていた。 例えば、エベレスト級の山を登る時、酸素ボンベは使わず、大人数のポーターも雇わず、自分の力で登る。 ヨーロッパなどはだいぶ前からこういう考え方をする人たちが出てきていた。

「でも7000メートル、8000メートルといった場所をただひたすら自分の力で登ると言っても・・・」と思っていたのだが、山野井さんはまさにそんなアルピ ニストそのもの。 スポンサーをつけて潤沢な資金を得るわけでもなく、現地の人たちを大勢雇って一団を作って行くわけでもなく、踏破できたら世界で有名になれるような山やルートを目標にするわけでもなく、登りたいと思った所に行き、単独で登る(この「単独で」行うというのは危険度が一気に増すらしい)。

一見、わざわざ自分のほうから危険を追い求めているように思えるのだが、そういうことを無理をしてやっているわけでもない。 自分の気持ちのまま、行きたいから行く、登りたいから登る。 「自分もこういうアルピニストになりたかった」とは夢にも思わないが、自分のやりたいことをここまで徹底してやってきている著者が羨ましかっ た。 自分がここまでのめりこめるもの、好きなことに子供の頃に出会えたらどんなに良かったかと思わずにいられない。

本書より印象に残った箇所をちょこっと。

今は思う。 レベルの高い登攀を成功させることは確かに魅力的であるが、死はクライミングに失敗することよりずっと敗北なのだ。/ クライマーの生死は、大自然が決定するのではなく、クライマー自身が決めているのだと肝に銘じながら・・・・・・。

 


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